梅林

    大信寺の沿革

    歴史

    八尾別院の歴史は古く、慶長12年(1607)、徳川家康より寄進された土地に本願寺第十二世教如上人が「大信寺」として開創したのが始まりとされています。教如上人は東西分派の中心人物であり、大谷派の派祖でもあります。以後、八尾別院は江戸時代を通じて、一如上人(後の大谷派十六代門首)等、本願寺住職の兄弟・子弟である連枝が住職をつとめ河内中南地域の門徒教化の中心的な役割を果たし、ながく「御坊さん」と親しまれてきました。

    八尾寺内町の発展とともに、万治3年(1661)現在の地へ御坊を移転し、七堂伽藍からなる巨大な堂宇が整備されました。(絵図)本堂はその後、天明8年(1788)には京都でおきた大火災によって東本願寺が消失したため、本山の御影堂として移建されることになり、約十年間東本願寺の御影堂の役を勤め、再度、八尾に移築、再建されました。

    しかし昭和28年(1953)3月、白蟻の被害により本堂屋根が突然崩れ落ちました。以後、対面所を仮本堂としましたが、本堂復興を願う声が強くなり、昭和41年(1966)現在の本堂が完成、翌年5月に大谷光暢門首(当時)の御親修により落慶法要と宗祖親鸞聖人七百回御遠忌法要が厳修されました。なお、旧御堂は麻布山善福寺(東京都)へ、山門・鐘楼は桑名別院本統寺(三重県)へとそれぞれ移築され、当時の面影を偲ばせています。

    年中行事

    報恩講や両彼岸会を始めとした年中行事以外にも、
    毎月二回の定例法話、宗祖七百回御遠忌から続く
    夏季仏教講座や、春夏に行われる子供会等多くの
    教化事業に取り組んでいます。

    1月1日~5日・・・・・修正会
    3月中旬・・・・・・・・春季彼岸会法要
    5月11日・12日・・・開基会法要
    8月14日・15日・・・㿻蘭盆会
    9月中旬・・・・・・・・秋季彼岸会法要
    12月5日~7日・・・・報恩講

    2014年4月18日~20日には大谷暢顕御門首御親修により、
    宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要が厳勤されました。
    八尾別院は、空襲や火災に遭うことが無かったため、
    数々の御消息や教如上人筆の御名号等、
    多くの法宝物が残されています。
    春はお釈迦様の誕生を祝う花まつり。夏はお勤めの練習や
    花火をしたりと大勢の子ども達が境内に集まっている。
    わたしの御文蓮如上人御遠忌の際、
    763人の寺族門徒と作り上げた屏風。
    宗祖の際には同様に正信偈の屏風を作った。